OVERVIEW
カサブランカとはスペイン語で「白い家(Casa Blanca)」を意味する。建物が白い理由は、気候・素材・文化・都市計画が重なった必然。モロッコの首都ではなく最大都市(首都はラバト)。2030年FIFAワールドカップの舞台として進化を続ける街。
カサブランカ。その名はスペイン語で「白い家」を意味する。
モロッコ最大の都市を覆う白い建物は、ただの景観ではない。北アフリカの灼熱、大地から採れる石灰、地中海世界の美意識、そして幾つもの文明が交差した末に生まれた、必然の色なのだ。
名前の由来から2030年ワールドカップに向けた今まで。白い街カサブランカの物語を紐解く。
「白い家」という名の歴史
カサブランカの名は、16世紀にポルトガル人が付けた「Casa Branca(白い家)」に由来する。
この街の歴史は、紀元前7世紀まで遡る。北アフリカの先住民アマーズィーグ(Amazigh)の人々が築いた集落「アンファ」がその始まりだ。アンファとは、アマーズィーグの言葉で「高台」や「頂」を意味するとされている。
フェニキア人が交易拠点として利用し、ローマ人が港を整えた。14世紀にはマリーン朝のもとで港湾都市として成長するが、やがて海賊の拠点となり、地中海を行き交う商船を脅かすようになる。
1468年。ポルトガル王アフォンソ5世の命を受けた遠征軍がアンファを攻撃し、街は徹底的に破壊された。住民はラバトやサレへ逃れ、アンファはその後長い間、廃墟として放置される。
そして1515年、ポルトガルは同じ場所に軍事要塞を築く。このとき名付けられたのが「Casa Branca」だ。航海者たちが海から眺めたとき、陸に白い建物が見えた。それが目印であり、名前になった。
その後、1580年以降のイベリア連合(ポルトガルとスペインの同君連合)を経て、呼び名はスペイン語の「Casablanca」へと変わっていく。1755年のリスボン大地震では大西洋を渡った津波が街を襲い、壊滅的な被害を受けた。ポルトガルは撤退する。
1770年、街を再建したのはモロッコのスルタン・ムハンマド3世だった。このときアラビア語で「ダール・アル=バイダー(الدار البيضاء)」という名が与えられる。意味は同じ。「白い家」である。
ダール・アル=バイダーとは、アラビア語でカサブランカの正式名称であり、現在もモロッコ国内ではこの名が日常的に使われている。
1912年にフランス保護領となると、初代総督リヨーテのもとでカサブランカは近代的な商業都市へと変貌する。パリのアール・デコとモロッコのモーリッシュ装飾が融合した独自の建築様式が生まれ、白い街は新たな顔を持つことになった。
建物が白い理由。数千年の知恵が導いた色
白い外壁は太陽光を反射し室温を下げる、北アフリカの気候への数千年にわたる適応である。
カサブランカの建物が白い理由は、ひとつではない。気候、素材、文化、都市計画。複数の要因が重なり合った結果だ。
気候という必然
最も根本的な理由は、北アフリカの過酷な日差しにある。白い壁は太陽光の大部分を反射し、室内温度の上昇を抑える。エアコンが存在しなかった時代、これは生存に関わる知恵だった。石灰による白塗り(ホワイトウォッシュ)は、この地域で数千年にわたって使われてきた建築技法とされている。
大地が与えた素材
モロッコでは石灰岩が豊富に産出される。これを焼いて作る漆喰は、古くから建築の基本素材だった。モロッコにはさらに「タデラクト」と呼ばれる独自の石灰系防水プラスターが存在する。タデラクトとは、モロッコ固有の石灰ベースの左官技法で、滑らかで光沢のある仕上がりが特徴だ。ハマム(公衆浴場)やリヤド(伝統家屋)の壁面に使われてきた。
素材が手に入りやすいこと。これが白い建物を可能にした土台である。
地中海世界の美意識
白壁の伝統はカサブランカだけのものではない。ギリシャのサントリーニ、スペイン南部のアンダルシア、チュニジアのシディ・ブ・サイド。地中海沿岸には白い街が点在する。太陽と海に囲まれた土地では、白い壁が最も理にかなっていた。モロッコはこの地中海文化圏の一部なのだ。
フランスが加えた都市計画
1912年以降のフランス保護領時代、植民地行政の建物には白い石灰プラスターと緑の屋根瓦が標準仕様として採用された。フランス人建築家アンリ・プロストが策定した都市計画のもと、カサブランカの新市街は整然とした白い建築群で埋まっていく。
なかでも特筆すべきは「アール・デコ・モレスク」と呼ばれる建築様式だろう。1920〜30年代に最盛期を迎えたこの様式は、パリのアール・デコにモロッコの幾何学装飾を融合させたもので、鍛鉄のバルコニーや装飾的なファサードが白い壁面に映える。UNESCOはカサブランカを「20世紀の建築と都市計画の実験場」と評している。
白は偶然ではない。この街が歩んできた歴史の、必然の色である。
色で旅するモロッコ。白・赤・青、それぞれの物語
モロッコの各都市は固有の色彩を持ち、その色は素材と文化の違いを映し出している。
モロッコほど、都市ごとに色が異なる国は珍しい。白、赤、青。それぞれの色には、それぞれの理由がある。
白の街:テトゥアン、アシラ、エッサウィラ
カサブランカだけがモロッコの白い街ではない。地中海に面したテトゥアンは、15世紀にイベリア半島から渡ったムーア人とユダヤ人が築いた白い街並みで知られ、メディナ(旧市街)はユネスコ世界遺産に登録されている。大西洋岸のアシラは白壁のメディナにアーティストたちが壁画を描く芸術の街。エッサウィラは白壁と海風が交わるボヘミアンな港町だ。
赤の街:マラケシュ
「赤い街」の異名を持つマラケシュ。1126年、ムラービト朝が築いた城壁の色がその起源である。この地域で採れる赤い粘土を版築(ピセ)工法で固めた建材が使われ、街全体が赤味を帯びた独特の景観を作り出す。マラケシュでは現在も建物の外壁に赤系の色を使うよう条例で定められている。
青の街:シャウエン
リフ山脈の麓に佇むシャウエンは、世界的に有名な「青い街」だ。なぜ青いのか。有力な説は、15世紀末にイベリア半島から逃れてきたユダヤ教徒が、空と天国を象徴する青で壁を塗り始めたというものである。その後1930年代、ヨーロッパの迫害を逃れた新たなユダヤ人移住者がこの伝統を引き継ぎ、青はメディナ全体へと広がっていった。
白は太陽光を反射する実用、赤は大地の粘土、青は信仰の象徴。モロッコの色は、その土地の風土と人々の営みが生んだものだ。旅の計画を立てるとき、色で都市を選ぶのも面白いのではないだろうか。
カサブランカの現在。サッカーW杯と進化する街
2030年W杯の共催都市カサブランカには、収容人数11万5,000人の世界最大のサッカースタジアムが建設中だ。
ここでひとつ、よくある誤解を正しておきたい。カサブランカはモロッコの首都ではない。首都はラバト。カサブランカから北東へ約90km、政治と行政の中心地である。カサブランカは最大都市であり、人口約400万人(都市圏)を擁するモロッコの経済首都だ。国内の商工業の中枢を担っている。
知名度では圧倒的にカサブランカが勝る。映画「カサブランカ」(1942年)の存在も大きい。ただし、あの名作が実際にカサブランカで撮影されたことは一度もない。全編がカリフォルニア州バーバンクのスタジオで制作された。現在のカサブランカには映画にちなんだ「リックス・カフェ」が2004年に開業し、観光名所となっている。
サッカーが刻む新しい歴史
2022年カタールワールドカップ。モロッコ代表はアフリカ・アラブ諸国として史上初のベスト4に輝いた。グループステージでベルギーを2-0で破り、決勝トーナメントではスペインをPK戦で撃破、ポルトガルにも1-0で勝利した。
そして2030年、モロッコはスペイン・ポルトガルとともにワールドカップを共催する。カサブランカから約40km北のエル・マンスリアに建設中の「グラン・スタッド・ハッサン2世」は、完成すれば収容人数11万5,000人、世界最大のサッカースタジアムとなる。モロッコの伝統的な集会「ムーセム」をモチーフにしたテント状の屋根が特徴だ。
ハッサン2世モスク
この街のもうひとつのランドマークが、ハッサン2世モスクである。ミナレット(尖塔)の高さは210m。合計10万5,000人を収容でき、非ムスリムにも開かれた数少ないモスクのひとつだ。大西洋の上に張り出すように建てられており、ガラスの床から海を見下ろすことができる。コーランの「彼の玉座は水の上にあった」という一節が設計の着想だという。
白い街カサブランカは、歴史を背負いながら、未来に向けて姿を変え続けている。
よくある質問
Q. カサブランカはモロッコの首都ですか?
A. いいえ。モロッコの首都はラバトです。カサブランカは最大都市であり、経済・商業・金融の中心地として機能しています。都市圏人口は約400万人で、モロッコの商工業の中枢を担っています。
Q. カサブランカの名前の意味は?
A. スペイン語で「白い家」です。16世紀にポルトガル人が「Casa Branca(白い家)」と名付けたのが起源で、アラビア語の正式名称「ダール・アル=バイダー」も同じく「白い家」を意味します。
Q. モロッコで白い建物が多い都市はどこですか?
A. カサブランカのほか、テトゥアン(メディナが世界遺産)、アシラ(白壁と壁画アート)、エッサウィラ(大西洋岸の港町)が白い街として知られています。
Q. カサブランカの見どころは?
A. ハッサン2世モスク(ミナレット210m、非ムスリムも見学可能)、1920〜30年代のアール・デコ建築群、旧メディナ、映画にちなんだリックス・カフェが代表的です。2030年W杯に向けて建設中の世界最大のサッカースタジアムも注目を集めています。
Q. 映画「カサブランカ」は現地で撮影されましたか?
A. 全編がアメリカ・カリフォルニア州バーバンクのワーナー・ブラザーズ・スタジオで撮影されました。当時モロッコはヴィシー政権の影響下にあり、現地での撮影は行われていません。
まとめ
カサブランカの白は、偶然ではない。
数千年にわたる気候への適応、大地が与えた石灰という素材、地中海世界の美意識、そしてフランス植民地時代の都市計画。いくつもの文明が交差するこの街では、白が最も理にかなった色だった。
モロッコという国の風土は、都市の色だけでなく、大地の恵みにも息づいている。南部のスース・マッサ地方でアルガンの木が育ち、ケラア・ムグナでダマスクローズが咲く。すべては同じモロッコの太陽と大地から生まれたものだ。
モロッコの文化や産地については、モロッコの魅力について詳しくをご覧ください。